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五本能人生論に学ぶ働き方



現代の社会は、貨幣経済になっていますから、人間は先ず働いてお金を入手し、それを個人の欲望用に使います。(p114)(p232)


人は何のために働くのでしょうか。

五本能人生論によれば、人間は先ず働いてお金を入手し、それを個人の欲望用に使うわけですから、一読すれば「働くとは力道具であるお金を得るための手段」ということになります。しかし、現実はどうでしょう。私たちは単にお金を得るためだけに働いているようには思えません。直江氏は五本能人生論において「働く」とはどのような行為であると伝えたかったのでしょうか。

また、昨今においては働き方がずいぶん変化しています。テレワーク、サテライトオフィス、フリーワークなどの労働環境の変化や、フリーランスや副業といった就業形態の多様化、さらには、FIRE(早期リタイア)という新たなワークライフバランスも注目されています。働き方が多様化、複雑化する現代において「働く」という根本的意味を理解することはより重要ではないかと思います。特にこれから人生を出発する若者たちに「働く」理由を伝えたいという願いを込めて五本能人生論を読み解いて参ります。


人間は他人を喜ばせる仕事をして、その代償に「金品」を入手します。それを商売と言いますが、他人を喜ばせる仕事とは他人の欲望遂行(欲求)の応援助力をする事です。(p115)

直江氏は第四章「五本能人生と商売」において、極めて現実的かつ具体的に、五本能とあらゆる商売との関係性について解説をしています。その中で商売とは他人の欲望の応援をした代償に金品を得る行為と定義されていますが、その「欲望の応援をする」ことがまさに「働く」ということです。「働く」とは他人の欲望を満たすための具体的な行動であり、「商売」とは他人の欲望を満たした結果、金品等の代償を得る行為全般のことです。ちなみに、諸説ありますが、「働く」の語源は「傍(はた)を楽にする」であるとも言われています。「はた」というのは傍らにいる人のことで、傍にいる人の負担を軽くしてあげる、楽にしてあげるという意味です。広義に捉えると、「働く」とは単に金品を得るための行為ではなく、他者のために尽力することすべてを指していると考えることができます。


他人が見ると「辛そうな嫌なこと」だが、それを辛抱してやり抜けば良い事が起こるだろうと、心の中では希望をもって頑張っているのであり、或いは、「辛抱するしか仕方ない」としぶしぶ辛抱しているのであって、結局は今自分が置かれている立場の中では一番良かれと思うから辛抱しているのであり、つまり、可能な限りの好きな仕事をして生きているのです(p20)(p266)

五本能人生論によりますと、人間は好きなことしかしないという原則がありますから、働くことにおいても好きなことしかしません。では、辛い仕事や嫌いな仕事は一切しないのかと言われれば、そうでもなく、辛い仕事であっても慈愛本能を発揮して人を喜ばせたり、楽しませたりすることができればそこにやり甲斐を見出すことができます。仕事が嫌いになって転職するというケースは、仕事の大変さが好きという気持ちを上回ってしまった時でしょう。転職というのは、大変であってもやり甲斐を見出せる仕事をしたいという欲望を満たそうとする行動です。しかし、端からやり甲斐を見出そうともせず、単に楽な仕事に就きたい、できれば働かずに遊んで暮らしたい、という欲望は「自由に生きたい」「束縛されたくない」と言う安楽本能から発生した欲望に基づくものです。働くということにおいて、安楽本能ばかり発揮してしまうと、辛抱や努力をしないで楽に金品を稼ぎたいという怠惰型人間に陥ってしまい、ギャンブルに狂ったり、法を犯して金品を人から奪おうとしたりします。働くこともまた、五本能と密接に絡んでいます。人は好きな仕事しかしないということは、五本能から発する欲望を満たす仕事しかしないということなのです。



他人を喜ばせ得る人間こそ、自分を喜ばせ得る人間である。
前述のとおり、「働く」とは人のために尽くすことです。そして、人は五本能に基づいて好きな仕事しかできません。であるならば、人に尽くすことを根本的に好きにならなければ、好きな仕事ができないことになります。人は人生の多くの時間を労働に割くわけですから、好きでもない仕事をやり続けるのは不幸です。人に尽くすことを根本的に好きになることが楽しくやり甲斐をもって働くコツであるといえます。人を尽くすことを好きになるためには、信頼本能や慈愛本能を発揮することです。働くという行為は体力や精神力を消耗する行動ですから放っておけば「楽したい」「休みたい」と自然と安楽本能に偏りがちです。特にこれから社会に出発する若い方々はぜひご注意ください。若いうちは働くことの大変さに慣れていませんから、「怠けたい」「楽に金を手にしたい」「働かずに遊びたい」という悦楽欲望がどんどん沸き起こってきます。悦楽欲望に翻弄されると「さぼり癖」がついてしまいます。この「さぼり癖」は些細なことのように見えて実は人生の大事な局面で失敗に繋がるがん細胞のようなものだと私は思います。「このくらいでいいや」「明日やるから今日はいいや」「誰も見てないからちょっと休もう」という気持ちです。これが癖になると、あと一歩頑張っていれば成功していたのに、ここ一番注意していれば事故にあわなかったのに…、などと人生の大事な分岐点で誤った道に進むことになるのです。悪癖は簡単には治りませんので、若いうちから注意して一所懸命働くことをお勧めいたします。一所懸命働けば必ず達成感、充実感を得ることができます。困った人を助けたり、人に喜んでもらったり、汗水たらして働いて、感謝されて、お給料をもらう、こんなにやり甲斐のある行為はなかなかありません。

人は働いて金品を得て、それを個人の欲望用に使います。ですが、働くことそのものが金品を得ること以上に欲望を満たしていることが分かります。動物性本能ばかりに偏らず慈愛本能、信頼本能から発する欲望を満たすように働けば、人に喜ばれ、信頼しあえる仲間が増え、人生に大きなやり甲斐やもたらすでしょう。

人は五本能を満たすために働いています。人のために尽くし、人を喜ばせ、結果的に自分を喜ばせて欲望を満たす、それが働く理由なのです。

最後に常人とは桁違いの五本能すべてを充実され、欲求を偏らせずに慈愛本能や信頼本能を確実に充実された松下幸之助氏の言葉を引用いたします。


~引用~

どんな仕事でも、一生懸命、根かぎりに努力したときには、何となく自分で自分をいたわりたいような気持ちが起こってくる。自分で自分の頭をなでたいような気持ちになる。 きょう一日、本当によく働いた、よくつとめた、そう思うときには、疲れていながらも食事もおいしくいただけるし、気分もやわらぐ。ホッとしたような、思いかえしても何となく満足したような、そして最後には「人事をつくして天命を待つ」というような、心のやすらぎすらおぼえるものである。力及ばずという面は多々あるにしても、及ばずながらも力をつくしたということは、おたがいにやはり慰めであり喜びであり、そしていたわりでもあろう。この気持ちは何ものにもかえられない。金銭にもかえられない。金銭にかえられると思う人は、ほんとうの仕事の喜びというものがわからない人である。仕事の喜びを味わえない人である。喜びを味わえない人は不幸と言えよう。 事の成否も大事だけれど、その成否を越えてなお大事なことは、力をつくすというみずからの心のうちにあるのである。(松下幸之助著 「道をひらく」)

~引用ここまで~




このコラムを書いた人:杉山英治

企業ブランディング戦略構築コンサルタント。
薬師堂グループのCI構築に携わる過程で五本能人生論に出会い、「人間は何のために生きているのか?」という壮大なテーマの泥沼に陥る。
株式会社デザイントランスメディア 代表取締役。



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