直江氏が人生の大半をかけて「人間は何のために生きているのか」という結論にたどり着いたその道筋には、「色即是空」という釈迦の教えが常に寄り添っていたのではないでしょうか。
「色即是空」とは般若心経の冒頭で説かれている釈迦の教えです。般若心経は名前の通り般若心を説いたお経であり、般若心とは、般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)を略したものです。般若とは智慧を意味しており、一般的な知識とか知恵ではなく、超越した仏の智慧を意味しています。波羅蜜多とは完成の意味。つまり、般若波羅蜜多とは「智慧の完成」という意味になります。
般若心経は、唐代の僧、三蔵法師玄奘がインドから原典を持ち帰って中国語に訳しました。三蔵法師玄奘は一躍人気になったテレビドラマ「西遊記」の登場人物でご存じの方も多いかと思います。玄奘は629年にシルクロード陸路でインドに向かい、命がけで砂漠を渡りインドに到着します。インドで修行を積み、645年に経典657部や仏像などを持って唐に帰還しました。以後、玄奘は生涯をかけて経典の漢訳を行ったと伝えられています。
般若心経が日本に伝わった時期は明確にはなっていませんが、7、8世紀頃というのが有力な説のようです。玄奘が漢訳した般若心経は奈良時代に遣唐使によってもたらされたとされています。このようにお経とは釈迦の教えがインドから中国に渡り、漢訳されて日本に入ってきたものです。ですから、私たちが普段目にするお経はすべて漢字でかかれているのです。
ところで、直江氏も般若心境について独自の考察を行っています。
数ある経典の中でも、最初に出来た経典は般若心経ではないか、と思われるのです。その理由は、書き出しが「如是我聞」ではなく、釈迦自身が自ら教えを説く文体で書かれているからです。(p199)
釈迦が悟りを開いて最初に説いた教えが、この「色即是空」から始まっているのです。だから、色即是空の意味をまず理解せねば、般若心境の意味は勿論のこと、仏教のすべてが正しく理解されなくなります(p200)
前述した玄奘が持ち帰った経典の中でも大般若経は600巻にも及ぶ膨大なものでした。般若心経は、その多くが大般若経から抜粋されていることから、般若経の真理を凝縮したお経と位置づけられています。ちなみに、般若心経に記されている字数はわずか262文字ですから本当に驚かされます。
ここまで長くなってしまいましたが、今回のコラムでは、色即是空の意味を理解するために般若心境の冒頭から色即是空の箇所までゆっくり見ていきたいと思います。
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
(ぶっせつまか はんにゃはらみた しんぎょう)
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ しょうけんごうんかいくう)
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
(どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう)
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
この文はお経のタイトルを表しています。仏説とは「仏が説いた」という意味、魔訶は「大きい」を表すサンスクリット語のmahà」が由来となった言葉です。今でも日常で摩訶不思議ということを使うことがありますが、まさにその魔訶です。般若波羅蜜多心は、そのまま般若波羅蜜多(智慧の完成)の心。仏=釈迦が説いた教えであり、般若波羅蜜多の心を説いたお経である、という意味になります。
観自在菩薩
一般的には観音菩薩の方がその名前をよく知られているかもしれません。観音菩薩(かんのんぼさつ)、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、観自在菩薩(かんじざいぼさつ)、救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名があります。菩薩とはサンスクリット語のボーディ・サットヴァの音写である菩提薩埵(ぼだいさった)の略で、悟りを求める者という意味があります。
行深般若波羅蜜多時
観自在菩薩は瞑想し、般若波羅蜜多という深い修行を行っていた時に
照見五蘊皆空
照見とは「心の目を見開いて物事の実相が見える」ことです。
五蘊(ごうん)とは「色」「受」「想」「行」「識」を表しています。それぞれ、色=目に見える物質(体)、受=喜怒哀楽のような感受する働き、想=想像(イメージ)する働き、行=何かを行おうとする意思の働き、識=認識、判断する働き、という5つの要素です。観自在菩薩は深い修行の中で、私とは何か、自分を自分たらしめている根拠は五蘊であるという結論に至ります。さらに、それらは全て「空」(くう)であると見極めたのです。空とは簡単に言うと実態がないものということになります。般若心経はこの「空」という思想を説いたお経です。
度一切苦厄
度は「解き放たれる」という意味です。苦は楽しいとは反対の苦しいという意味ではなく、「思うままにならないこと」です。「生まれること」「老いること」「病むこと」「死ぬこと」という四つの根本苦を「四苦」といいます。」これに「愛する者と別れる苦」「憎む者と会う苦」「求めて得られない苦」「人間は五蘊が和合した存在であり、本質的に思い通りにならない苦」を加えて八苦と言います。これら一切の苦を解き放ったと言います。
舎利子
舎利子はサンスクリット語の発音では「シャーリプトラ」でシャーリという名を持つ母の子という意味です。釈迦の十大弟子の筆頭で「智慧第一」とも呼ばれる人物です。般若心経では、観自在菩薩の教えを受ける立場として描かれています。
「シャーリプトラよ…」と、観自在菩薩がシャーリプトラの質問に答える形式で物語が進みます。シャーリプトラがどんな質問したかは三蔵法師玄奘が漢訳した般若心経(小本)には書かれていませんが、大本と呼ばれる前段・後段つきの般若心経には描かれています。シャーリプトラは観自在菩薩に「深遠な般若波羅蜜多(智慧の完成)の修行をしたいと望む場合、どのようにすればいいでしょうか」と神通力を使って質問をしています。
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
シャーリプトラよ、色(しき)は空(くう)に異ことならず、空は色に異ことならず、色はすなわち是、空であり、空はすなわち是これ色である。
観自在菩薩はまず、自己とは五蘊であると思い至りました。さらにそれらは空であると悟ったのです。そのことをシャーリプトラに説明しているのが、色不異空 空不異色 色即是空 空即是色となります。
色とは宇宙に存在するすべての形ある物質や現象のこと。つまり目に見えるもの全てを色と言います。それに対して空とは実態がないという意味です。
色不異空
目に見えるものすべてのものを色といいます。その物質的なものすべては空と別のものではない、すなわち「色=空」ということになります。
空不異色
色不異空を逆に言い換えたものが、空不異色です。空は色と異ならない、すなわち「空=色」となります。
色即是空
色はすなわち空であるという意味。すなわち「色=空」となります。
空即是色
空はすなわち色であるという意味。すなわち「空=色」となります。
色即是空というフレーズがあまりにも有名ですが、色不異空 空不異色 色即是空 空即是色は全て同じ意味を繰り返し述べているということになります。
さて、ここまでの意味を現代風に意訳してみますと下記のようになります。
これはお釈迦様の言葉である、般若波羅蜜多の心を説いたお経である。
観自在菩薩が深遠な般若波羅蜜多(智慧の完成)の修行を行っているとき真相を見極めた。先ず、自己というのは五蘊が和合したものだと見極め、さらに、五蘊の本質は空であると悟ったのだ。そして、それらの本質は空だったのだ!そして、全ての思うままにならぬ苦しみや厄を解き放ったのである。観自在菩薩はシャーリプトラにこう説きました。
「シャーリプトラよ、この世の目に見えるもの全ては空であり実態はないのだよ。色は空と異ならない、空は色と異ならない、色はすなわち空であり、空はすなわち色である。私たち人間を構成する要素である五蘊はどれも空であり、実態をもたない状態なのだよ」
今回は、「五本能人生論と色即是空」の関係性について理解するために、般若心経について掘り下げてみました。直江氏は般若心経の中心的な思想である「色」と「空」の関係について独自の見解を持っていたようです。次回はその点について読み解きたいと思います。
このコラムを書いた人:杉山英治
企業ブランディング戦略構築コンサルタント。薬師堂グループのCI構築に携わる過程で五本能人生論に出会い、「人間は何のために生きているのか?」という壮大なテーマの泥沼に陥る。
株式会社デザイントランスメディア 代表取締役。