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信頼と愛の関係性



人間は生きていく上で常に何かを信じていなければ、生きる力さえ失ってしまう、実に不安定な生物である。(p102)

このコラムを読んでくださっている皆様にひとつ提案があります。「信頼本能」とは一体何か、深く読み解くための実験として、次の問いに答えて頂けないでしょうか。できれば誰もいない部屋で、心を安寧にできる時間に考えてみてください。

質問1:「この世であなたが最も信じることができる人は誰ですか」

質問2:「なぜその人を信じることができるのでしょうか」

質問3:「その人はあなたの人生にどのような影響を与えたでしょうか」


いかがでしょうか。恥ずかしながら私が考えたことを記してみます。

月並みな答えかもしれませんが、私にとってこの世で最も信じることができる人は母親です。心から信じることができる人は母親以外にもいますが、「一位を決めろ」と言われれば即答するでしょう。

理由は簡単です。母は私が生まれてから今日という日まで一度も私を裏切ったり嘘をついたりしたことはありません。それどころか、母は母の人生の全てにおいて私を最優先して生きてきました。一度たりとも自分を優先するような判断をしたことはありません。母の行動基準は全て、私が幸せになるかどうかでした。私に万一のことがあれば自分の命をなげうつ覚悟があることは明白でした。それほど私は愛されて育ったという実感があります。一般的には「母親」というのはそういうものだと思って生きてきましたが、大人になって、それが当たり前のことではないということを知りました。たとえ、親であっても子供より自分を優先する、ましてや、子供の命を軽んじる親が世の中にはいることに驚かされました。私の母が特別な人だったと気が付いたとき、母に対するこれまでの自分の言動に吐き気がしました。

母の存在は私に勇気をもたらしてくれました。どんなことがあっても私のことを信じてくれる人がいるということがどれほど心強いことか。もしも、私の人生が狂ってしまったとしても、最後に頼る人がいるという事実があるだけで、そうはっきり認識していなくとも、心の拠り所になっているのだと思います。母との信頼関係がなければ、人生の転機に、勇気ある一歩を踏み出せなかったでしょう。


質問4:あなたは、誰かにとって、最も信じられる人でしょうか。

私は、家族や社員、友人、お客様から信じてもらえる人になれたでしょうか。そう考えると、私は母のように慈愛本能を発揮しておらず、誰かにとって最も信じられる人になりきっていないのでしょう。まだまだ修行が足りません。少々切なく思いつつも、人を信じると同時に信じてもらいたいという欲望があることに気が付きます。

信頼本能から発生する信頼欲望とは、信じ頼りたいと思う欲望である一方、誰かから信じてもらいたいという欲望であるように思います。人は一人では生きていけません。誰かを心から頼りたい、そして、頼られたい、相互に信頼できる関係性=信頼関係を求めているのではないでしょうか。

信頼関係とは、人の信頼欲望が、一方的ではく相互的になることによって生まれるものだと言えます。そこには慈愛本能も大きく絡みます。対人関係の「愛」は先ず「信」が先行し、深く信じて疑わないようになると「愛」が生まれてくるものです。

対人関係において、信頼本能を発揮し、欲望を満たすためには、まず自ら人を信じることです。そして、慈愛本能を発揮して、相手に尽くせば尽くすほど、より信頼関係が深まることになります。互いに信頼欲望が満たされると、「愛」が生まれてくるのです。すなわち、愛は自らの主体的な行動によって、生まれてくる欲望であるといえます。




このコラムを書いた人:杉山英治

企業ブランディング戦略構築コンサルタント。
薬師堂グループのCI構築に携わる過程で五本能人生論に出会い、「人間は何のために生きているのか?」という壮大なテーマの泥沼に陥る。
株式会社デザイントランスメディア 代表取締役。



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